女流作家 樋口 一葉
本名は夏子、戸籍名は奈津(村長の愛犬七二と呼び方同じ)
1872年5月2日生まれ〜1896年11月23日没小説家定番の肺結核でなくなちゃいました😭
そう今日は
五千円札の一葉さんの誕生日なんです🎉
農民から武士の身分を勝取った父親は、明治新政府の下級官史となり、その傍ら不動産業や金融で財を成して、樋口家はお金には困るような事はありませんでした
一葉さんは小学生の成績は首席なるほど優秀な子供でした。しかし11歳の時に母親から
「女にはこれ以上の学問はいらない、それよりも家で針仕事や家事を身に付るべきだ」
と主張して退学を余儀なくされました
それを見かねた父親は、一葉さんに和歌の通信教育を受けさたり、歌塾「萩の舎」へ入門させたりとしました
ところが
父親が事業に失敗、そして膨大な借金を残したまま、一葉さんが17歳の時に病死します(健康が一番だよ‼)
兄もなくっていたため一葉さんは、一家の大黒柱になり、母、妹・・女3人でめちゃ大変な生活になりました❗😰😓😨
一葉さんには、許嫁の渋谷三郎て人がいたのだが、樋口家の多額の借金を理由に破談になします
またなんと
夏目 漱石の家との間にあった縁談も借金を理由に破談となります😢😢😢
一葉さんは家計が火の車から抜け出せなく悩んでいた所、同じ塾の田辺かほが[藪の鶯]で多額の原稿料が入った事を知り
一葉さんは思ったのです「小説を書けばお金になる」と🤔
それから、執筆活動をはじめたおり、妹の紹介で東京朝日新聞の新聞記者、半井桃水(ながらい とうすい)という師匠みないな人と出会いました
その後、桃水から厳しい指導を受けながらも世間から「2人が男女の関係になっている」と噂されるようになり、また経済的支援を受けていて、そして優しい桃水の事が好きだったのですが、自ら家に出向き
「絶交」を告げたのです😢😭
そしてまた極貧の生活をおくるのです😓
そんな中、樋口家は現在の台東区吉原の近くに〔元遊郭、村長も一度は行ってみたい😋)、日用雑貨を扱う店を開いて、そこで働く身を売るしか生きていけない少女、遊女を描く方向性を決めたのです!(流石 一葉さん 早く方向性決まってよかった!)
1894年〔大つごもり〕を発表、翌年明治28年に〔たけくらべ〕を発表、〔大つごもり〕から〔うらむらさき〕発表までは
文学史において【奇跡の14カ月】と呼ばれ、一葉さんは優れた作品を数々残しました🔚
ところで
みんみん村の村長は怒っているんです💢
誰に❓もちろもん、わかりますよね‼
一葉さん、二回も裏切られたです😢
夏目 漱石に
一葉さんやっと
日本銀行で仲良くなれると思ったら
すぐ、出て行ったんです (涙)
一葉さん
日本国民はあなたの事大好きですよ♡
勿論 英世先生も、諭吉先生も♡