今日
ベレー帽が似合う
キューバ革命を成功
させた!
チェ・ゲバラの誕生日である🎉
めちゃ
イケメンなのだ!
1929年6月14日
アルゼンチン生まれの
チェ・ゲバラは
幼少の頃から喘息を患っており
生涯発作に悩まされていました!
心配していた両親は
ゲバラの体調を
気づかって、たびたび
引越しをしていたそうです!
成長するにつれて激しい
スポーツもするよになり
また学問にも
取り組み、ブレノスアイレス大学の
医学部に入学し6年の過程を3年で
卒業しました❗
村長と違って頭いいんです!
当時のアルゼンチンは
政治情勢が不安定だったため
ゲバラは医師の免許を取ったもの
国内で医者になるつもりは
なかったようで❓
その後、
訪れた
ボリビア、ガテマラで
社会主義や農地改革の問題と直面し
アメリカ合衆国🇺🇸の影響から
脱出しなければならないと
考えるようになりました
そして
27歳で結婚、翌年に娘が出来
また人生を変える
カストロ兄弟と知り合い
キューバ🇨🇺の独裁と戦うため、
軍医として参加しました
ところで当時の
キューバとは、
19世紀にスペインから
アメリカの支援で独立
しかし独立
したもののアメリカの軍政下に置かれる
ことになってしまい
表向きは豊かになっても
農村部と都心部の
格差が広がり
『アメリカ政府&キューバ政府』
VS
『キューバ市民&反アメリカ政府』
みたいな状況になり
カストロ兄弟とチェ・ゲバラは
キューバ革命を成功させます!
それから、
ゲバラは国立銀行総裁などの
要職に就任しましたが、
当時のソ連を非難したため
「ゲバラを更迭しなければ援助」
をやめると言われて
引き下がざるを得なくなります!
ゲバラは
その後
日本にも来日し
広島の原爆記念館など訪れ
キューバの初等教育では
原爆投下について教えているのである!
葉巻を吸う方は、キューバ産いわゆる
葉巻が産業になっていると思いますが
キューバ=ラム酒&葉巻
のイメージは
チェ・ゲバラの影響のせいです❣
キューバから、はなれたゲバラは
舞台をアフリカのコンゴに移し
一時参戦しましたが、兵士の士気の
低さと喘息の発作が再発した為
チェコに潜伏し療養に入ったのですが
あまりにもソ連の影響を受けて社会主義
の悪い面が強くなっており
密告が日常茶飯事で悲惨な状況で
ゲバラの力ではどうにも
出来ない状況
(ゲリラ戦が通用する場所じゃない)
そこで向かったのは
ボリビアで
反アメリカ運動みたいな
ゲリラ的名活動をしましたが
市民には受け入れられず
結局
ボリビア政府軍に捕まり
裁判も受けず、即射殺でした‼
ゲバラの最後の言葉は
『落ち着け、そして良く狙え。お前はこれから一人の人間を殺すのだ』
なんとも言えません・・・
村長は思いました🤔
ゲバラ
カッコ良すぎ
だけど❓
喘息持ちは
【村長も喘息持ちです❗】
葉巻もタバコも
吸ってはだめです🙅♀️
ラム酒は
OK!
まして
お医者さんですから
体力がなくて捕まったかも⁉
革命を成功させるには
健康♡が一番です‼