1912年9月13日
たくさん勲章をつけた
写真の乃木希典(のぎまれすけ)
日露戦争の英雄乃木将軍が
明治天皇の大葬の夜
殉死した日である
それも奥さんの静子さんと共に
自刃(じじん)したのだ
所謂
切腹したのである!
乃木将軍は日露戦争の
旅順攻略作戦については
「どんなに対敵が攻めても、3年は持ちこたえる」
と言われたロシア軍を半年で
陥落させています!
世界は
「乃木とその将兵が奇跡を起こした」
と驚愕したのであります!
また旅順陥落後
降伏調印式に敵の大将に帯刀のままの
調印を許しました
これは敵の名誉を重んじる
武士道の精神に基づく
明治天皇の
【武士の名誉を保たしめよ】
の思し召しかなうものでした!
その後
「日露戦争の英雄」として、
乃木は長野師範学校で講演を求められますが
縁壇には登らずその場に立ったまま
『私は諸君の親兄弟を多く殺した
乃木であります』と一言述べて絶句し
滂沱(ぼうだ)の涙を流したのです
その姿に生徒も教師も泣かない人は
誰一人いなかっといいます❗️
しかし
日露戦争後の日本は
大国ロシアに勝利した事で
奢侈(しゃし)と安樂の風潮が生まれ
乃木はそんな風潮を憂いていたのでしょう!
乃木の殉死の最大の理由は
日露戦争の責任を取ったのだと思います!
しかし
村長としては
殉死より
戦争の
儚さ(はかなさ)
無意味さを
死ぬまで講演してほしかったです!
そしたら少しは歴史が
戦争がなくなって
ハッピーな方向に
変わっていたかもしれませんね❗️